劇団ズッキュン娘第15回本公演「ハリケーン・マリア」 観劇してきました。
お目当ては主演、TEAM SHACHIの大黒柚姫ちゃん!
台風のように激しく渦巻く、「今」を捉えた心のど真ん中にズッキュン❤な公演でした。
レポートとして、観劇を通して感じたこと、思ったことを書いています。
文字数がそこそこ激しくなってしまったので、次の3つの項目に分けてみました。
お目当ての項目があれば、下のリンクからジャンプできます。
小池まりあと有馬けいこの光と闇
本作は、今をときめく大人気アイドル兼女優の小池まりあ(大黒柚姫/TEAM SHACHI)と、 まりあの相方で「まりあじゃない方」の有馬けいこ(畑芽育) の明暗を描いた作品。
物語はけいこがまりあを陥れ、事実無根のデマをでっちあげることでまりあを芸能界から追い出し、まりあの代わりに地位を築いていくところから始まり、復讐を誓ったまりあと、まりあの影に苦しむけいこの二人を対比させながら進んでいきます。
歌ありダンスあり、マジックショーありの「エンタメ」である一方、SNSと誹謗中傷、満たされない歪んだ承認欲求、復讐と赦しなど多くの人に覚えがあり、 また目を背けたいものを主題に据えることにより、重くなりすぎることなくまた深みもある、非常にバランスが良い作品だったと思います。
けいことまりあの間にある感情はダンスや独白中心、会話劇は賑やかな風町商店街(まりあの地元)のメンバーが担当することが多く、それがまたバランスの良さに繋がっていたのではないでしょうか。
特にダンスによってまりあとけいこの心情を表現するシーンがいくつかありましたが、セリフが少ない一方、まりあとけいこの表情が引き立ったほか、象徴的な立ち位置や振り付けでより彼女らの心情が引き立ち、目を奪われるものでした。
演出もさることながら、キャラクターの作り方も巧みでした。
まりあとけいこをピュア&ダークという2人組ユニットとして設定し、とことん対比させることでまりあの光とけいこの抱える闇が克明に感じ取れるものとなっていました。
特に、まりあを陥れることで彼女の代役を務め、徐々に人気を獲得したけいこが、次第に「自分を見てもらえているわけではない、みんな私を通してまりあを見ている」と悟り、まりあの影にとらわれて落ちていく姿は、悲痛で、哀れで、でも異常に魅力的で目が離せなくなりました。
畑芽育さんのあの小さな華奢な身体、白い肌、 よく通って張りのある声、 なにもかもが有馬けいこの内に渦巻く闇の大きさを引き立てており、キャスティングの巧みさに思わず唸ってしまうほど。
一方、けいこのかつての相方であり、対の存在として描かれる小池まりあ。
これがもう、そりゃけいこも病むわねと思わず納得してしまう圧倒的「光」の存在なんです。
一時は自分に向けられる数多の言葉の刃に傷付けられながらも、母親である静香(藤吉みわ)をはじめ、妹のいずみ(桜ひなの/いぎなり東北産)や生まれ育った商店街の大事な仲間たちに励まされ、再会する中で自分の居場所を自分で作り、這いあがることを決意します。
周りの助けもあり、自分の顔を出さず、正体を明かさずに自分が活躍できる場を作り上げてしまうんです。
先ほど、キャラクター作りが巧みだ、と書きましたが、実はけいこの関係者はまりあ以外に出てきません。本当に、ひとりぼっち。誰も、けいこを本当に見てくれている人がいないんですよね。そしてじぶんの居場所も本当はなく、とことん孤独なんです。
二人はどこまでも対照的な存在で、もう二度と交わることはできないのか…そんな思いが頭をよりぎります…
が。
物語は、そんな二人は光と闇、切っても切り離せない存在であるという結論に至るのです。
まりあは、圧倒的な光でありながら、実はけいこのことを一番よくわかっています。自分が受けた痛みをしっかりとけいこに返しながらも、けいこが一番欲しい言葉を与えて、一つの条件の代わりに赦してしまうのです。
けいこを救えるのはまりあしかいなかったように、芸能界の居場所をなくしたまりあを救えるのは、全てを知っている、けいこしかいません。
「けいこの手で、もう一度私を舞台に引っ張り上げて」
これが、けいこの罪に対する贖罪だと示し、本当の意味でけいこを罪から解放しようとするのです。まさに聖母まりあ。こんな選択、できる人はなかなかいません。
そして、まりあ自身の口から私の中にも闇はある、と語り、それと同じようにけいこの中には光があって、闇と光になんて分けられない、人間はみんなグレーと語り、けいこを抱きしめます。
抱き合いながら泣く二人が絵画のように美しく、すらっとした柚姫が小柄な畑さんを包み込むように抱きしめる姿は二人の関係性を象徴しているようでした。
光と闇に例えられた二人の、切っても切り離せない宿命めいた美しき関係、それが美しく描かれた瞬間でした。
ラストシーンはまりあとけいこの和解から1年後の2021年1月24日。場所は小池まりあと有馬けいこが出演する舞台「ハリケーン・マリア」の会場。これがまりあの芸能界復帰初めての仕事。ここで、けいこは贖罪を果たし、許されるのです。
そして私は震えました。
あのね…メタ!!!!オタクだから!!!!!!!!!大好き!!!!!!!!!だって私が観劇に行ったのは2021年1月24日で、ハリケーン・マリアを観にきていたんですから…
この衝撃で、ハッピーエンドに向かう気持ちのスイッチがぐいっと切り替えられました。
物語はそのままエンディングへ。
頑張っている自分も、褒められたい自分も、弱い自分も、全部認めていい、そんなメッセージに心を打たれました。
このエンディングのセリフが素晴らしく、ぜひみなさんに読んでほしいです。大黒柚姫のブログに全文掲載されているので、ぜひ。
エンディングではメタ的な演出もあったおかげか、これが舞台なのか、現実なのか、リアルとフェイクが混ざり、込められたメッセージが舞台から現実に飛んできて、ズッキュンと刺さる。そんな気持ちになりました。
ドラマがありながらも、歌って踊ってハッピーエンドなお芝居が大好きな私にとって最高の作品でした!
それにしても、この圧倒的聖母、小池まりあを演じた大黒柚姫、演技経験ほぼなしにも関わらず、堂々とした姿でした。
彼女については、今までの経歴を振り返りながら、次の項目で詳細に記したいと思います。
大黒柚姫の圧倒的成長と「女優」大黒柚姫
柚姫が舞台、主演。これを聞いたときよぎったのは、 いつかのライブのオープニング映像撮影のメイキング。
「だから、ゆずがいなくなったんだって」というセリフの「 だから」のOKが出ず、何回もリテイクを食らっていました。
大黒柚姫ってそういう子だったんです。
緊張したら床を触って安心しようとするし、みんなよりも何もできないとステージの上で泣いてしまうし、 猫背に悩んでいたりもしました。それでも元気に全力で頑張る、 それがかつての大黒柚姫で、彼女の大好きなところだったんですよ。
そんな子がね、立派に主演を務めあげました。板の上に立つ姿、堂々としていました。 素晴らしい演技でした。
様々な表情を見せながらも常に気高い小池まりあを堂々と演じる姿 に、これは本当に大黒柚姫なのか?否、今彼女は「小池まりあ」 だ……と目をそらすことができませんでした。
作中では、売れっ子新人女優の姿、商店街の人気者、 誰かの大切な娘、復讐に燃える女、 けいこの苦しみや悲しみを大きな愛で包み込むまりあ様…… いろんな「顔」を、みごとに演じ分けていました。
特に、復讐しようとけいこを脅すシーンは、 悪意と高揚感の絶妙なバランスが伝わってきて、末恐ろしさすら感じるほど。大黒柚姫、おそれいりました。
(このシーン、人生でそうそうあるようなシーンではないから楽しかったそうです。)
ダンスシーンでも表情で巧みに「小池まりあ」を表現していて、 さすがだなあ……と惚れ惚れ。
最近、ライブパフォーマンス中の表情がとってもいいな…と感じていましたが…自分がどう見えているか、鏡と何時間も向き合って研究して、髪の毛の先まで神経を行き渡らせたあの努力…博品館劇場の板の上で、スポットライトに照らされてキラッキラに輝いていました。
この背景を知っているから、 カーテンコールで緊張の糸が切れたようにワーっと泣き出してしまう姿を見て立派だったよ、とただただ称賛の拍手を送ることしかできなかったんですよ。
もうね、 抱きしめて安心させてあげたいっていう感情じゃないんですよ。 ただただ、立派でした。
今の柚姫しか知らない方に、ぜひ観てもらいたい映像があります。彼女が高校生だった頃、6年前のライブで映像です。辛いことがたくさんあって、みんなよりもなにもできない、って泣いていました。個性がなくて、ヘラヘラしていることしかできないと。
でも今の柚姫は、たくさんのことができるようになりました。唯一無二の存在で、ゆずきしかいなくて、舞台の主演もこなしてしまう。ほんとにほんとに、立派です。
柚姫のいいところとか、 素晴らしかったところ、褒め散らかしたいところががたくさんありすぎて正直書ききれません。
この溢れる想いを柚姫に伝えたくて、 ぎゅーーーっと凝縮して、毎週柚姫が生出演するYouTube番組「柚姫の部屋」にメールを送ったら採用していただきました。結構考えたメールだったので嬉しかったです!
柚姫本人の口から、ハリケーンマリアのアレやこれ、 語られていますのでぜひまだご覧になっていない方は、 見てみてくださいね。
スタプラローカルメンバーをはじめ、 他のキャストさんの話なんかもたくさんしてくださっていますので、ぜひ。
コロナ禍とエンタメ
ハリケーンマリア、作品そのものも非常に良かったんですが、 最後にもう一つ「今このタイミングで、 生で観劇できたことがよかった」と思える公演だった、 ということを語らせてください。
たくさん、行けなかった人、行かない選択をした人、主催者側にも中止を余儀なくされた方、中止の選択をした方がいることを承知で書きますが、よろしければ、ぜひ読んでいただけるとうれしいです。
ハリケーンマリアは、 新型コロナウィルスに振り回された公演でした。
1月頭、緊急事態宣言が発令。ニュースを見れば、 逼迫する医療現場。私も、仕事がテレワーク中心になったり、 緊急事態宣言対応のため最初の週はバタバタしたりと、 少なからず影響があったものです。
そんな中、 ハリケーンマリアは公演スケジュールや上演時間を変更して、 上演されました。
そして無事に迎えた千秋楽のカーテンコールでは、 劇団主宰の藤吉みわさんが涙ながらに「この公演を打つことが正しいことなのか、最後まで悩んだ」 と語ってくれました。
私は、正しいことだった、と思っています。
作中で、とても印象的だった台詞に「私は女優、 スポットライトがないと死んでしまう」というものがあります。
この台詞が一番心に残っています。 それほど、気持ちがこもった一言だったと思っています。
ここで私が感じ取ったものは、 作品の中での台詞の意味とは、大いに異なります。
ですが、語らせてください。
コロナ禍の今、エンタメに従事する演者、 サポートする皆さんは苦境に立たされていると、 この1年痛いほど感じ取ってきました。
舞台がなければ、スポットライトもない。 そのスポットライトを当ててもらえなければ、「女優」 の皆さんは本当に死んでしまうんですよ。
コロナ禍の今、エンタメに関わる人たちの悲痛な叫びに聞こえたんです。
そして私は、そのスポットライトに照らされた輝く人たちをみて、 救われてきた人間です。
スポットライトの光は、 演者やオーディエンスにとっても希望の光で、 なくてはならないものだと、私は思っています。
その光に導かれて、私は今まで生きてきたのだから。 その光に照らされて、たくさんの人が輝いて、 生きてきたのだから。
エンタメは、誰かの生きる場所で、誰かを生かす光です。
そういった意味で、 公演を打つ決断そのものが素晴らしいお芝居でもありました。
あの場所にいられたこと、本当に幸運だと思います。
ああ、スタンディングオベーション、したかったなあ… それだけが、悔しいです。レギュレーションだから、しかたないことと思います。
心の中で、 全力でスタンディングオベーションさせていただきました。
この公演に行けなかった人、行かない選択をした人がたくさんいることは、重々理解しています。
公演を中止にする主催者もいた事でしょう。
その選択肢が間違っている、ということではなく、この状況下ではどんな選択肢も素晴らしい決断だと思っています。
人が集まるような公演を実施すること自体に思うところがある人もいるでしょう。わかります。人の数だけ立場と考えがあり、立場によって物事の見え方が変わるものです。
でも、私があの時感じたことはどうしてもここに記しておきたかったのです。
不快になった方がいたら、申し訳ありません。
でもわたしは、比較的制限のない立場です。感染対策を万全にしながら公演に足を運んで、エンタメを微力ながらも支えることができます。
エンタメは、誰かを照らす光です。
私は、いつか必ず、みんなが安心してエンタメを楽しめる時が来ることを信じているし、祈っています。
その日までは、どうか、誰かを救うエンタメが、生き残ってくれますように。みんなと笑って、会場のスポットライトの下で、会えますように。