こんにちは!皆さん今日はどう過ごされますか?
今日4月7日は、私が敬愛するTEAM SHACHIの前身グループ、チームしゃちほこの結成記念日です。今年で9周年、来年は10周年と、節目が見えてきたところです。
そこで、彼女らの歴史を探るため、オタクになって8年目の私が、思い出とともにチームしゃちほこを振り返ります。
【目次】
- 【2011年~2013年】結成~日本先行メジャーデビュー期
- 【2014年~2015年】ファーストアルバム発売、初の武道館公演
- 【2016年】VICTORY YEAR
- 【2017年〜2018年】おわりとはじまり
- チームしゃちほことTEAM SHACHIをつなぐもの
【2011年~2013年】結成~日本先行メジャーデビュー期
チームしゃちほこは、ももいろクローバZの妹分として、スターダストプロモーション芸能3部 3B junior(当時。組織改編を経て、現スターダストプラネット)初のローカルアイドルとしてデビューした。
結成当初からの勢いがすさまじく、その「すさまじさ」をここに記していくが、2013年4月7日以前は現場に行っていないので全て後追いの記録である。
物販のところにいる偉い人に頼んできてください
チームしゃちほこは、最初は期間限定のユニットだった。
名古屋パルコで行われた、スターダストの全員面接オーディションにて、初めて人前に立ってパフォーマンス。そのオーディションで合格した伊藤千由李を加え、秋本帆華・咲良菜緒・伊藤千由李・安藤ゆず・大黒柚姫・坂本遥奈の6名でチームしゃちほこを結成。
モデルや女優を目指してスターダストプロモーションに所属していた彼女たちは、ある種寄せ集めの集団で、アイドルになりたくてなったわけではない。
しかし、当時のチーフマネージャー:長谷川ミネヒコに「自分を女優だと思って、アイドルという役をやりきってほしい」と説得され、スターダスト芸能3部(現在のスターダストプラネットに相当する)のイベントに参加、中野ZEROホールのステージに立った。
その時、秋本帆華が言ったのだ。
「私達チームしゃちほこは(略)まだまだ物足りないんですよ。チームしゃちほこを続けたいので、物販のところいにる偉い人に頼んできてください。」
これが、後の長い歴史の始まりだ。まだ私は、彼女たちことを知らない。
名古屋路上デビュー
その後、チームしゃちほこは2012年4月7日、名古屋城にて路上デビューする。
ももクロバブルの後押しもあってか、お披露目にしては十分すぎるほどの人入りだったと語られる。
日本ガイシホール公演を目標と掲げたはこの約半年後、路上デビューからたったそれだけのキャリアで大言壮語を吐いてみせた。長谷川ミネヒコはこの目標を「鼻で笑われた」と語っている。
この時点では、チームしゃちほこがこれからどれくらい大きくなるのか、誰も想像出来なかっただろう。
湿度100%
人気絶頂から滑り出したチームしゃちほこは、とんとん拍子でスターダムを駆け上がっていく。
語りぐさになるのが、初ワンマンライブの「君への想い時期尚早」。名古屋・クラブクアトロで行われたがライブのチケットは。発売後2分で完売、当日はオタクのあまりの熱気に会場の湿度が100%まで上がりきり、最終的に結露して「オタク汁」が降り注ぐというヤバい現場に。
すし詰め状態の名古屋CLUB QUATTROは“湿度100%”。(C) アラキシン [画像ギャラリー 2/12] - 音楽ナタリー
そして、私は、2013年4月7日、名古屋城で行われた一周年ライブでチームしゃちほこと出会った。
社会人一年目だった私は、名古屋からほど近い某県の研修所にほぼほぼ幽閉されており、たまたま「ザ・スターダストボウリング」のMVを見て、フリーライブの情報を知って脱兎のごとく研修所を逃げ出して名古屋城にたどり着いたのである。
その後どうして深みハマっていったのかは覚えていない。とにかく秋本帆華さんが好きだった。それしかわからない(笑)
ここで自分語りをさせてほしい。
全員握手に参加して一番対応が印象に残ったのは咲良菜緒と安藤ゆずだった。この日、4月にしては異様に寒かったのだが、私はなぜか超薄手のパーカーしか上着がなく、手がキンキンに冷えていた。
こんな冷たい手で、まだ当時高校1年生と中学3年生の女の子の手にに触れるのはいかがと思いながら、先頭だった菜緒ちゃんに「手冷たくてごめんね」とまず話しかけたのだ。
そうしたら、「えっどうしてそんな薄着なの?すごく寒そうだよ!すぐあったかいところ行くんだよ!」と手をさすりながら私のことを心配してくれた。そのうち、前の人が剥がされたのであろう2番目に控えていたゆずにも「えっ寒そう!大丈夫!?」と声をかけられ、スタッフも剥がすに剥がせず、ステレオで寒そう!大丈夫!?なんで!?攻撃を受けた。
一方で、私が秋本帆華を気にするきっかけとなった「声」について、本人に「ほのかちゃんの声が大好き」と伝えたところ、まだまだ彼女が自分の声にコンプレックスを抱えていた頃で、私は無事に地雷を踏み抜き、「えっ、うん…ありがとう」塩味濃いめの対応を受けて終わった。
それでも、秋本帆華がずっと好きなのが不思議だ。これを他人に話すとき、恋だ、と言っている。
こうして、私はその年の夏、愛知・名古屋国際会議場センチュリーホールで行われた「チームしゃちほこサマーフェスティバル~略して“しゃちサマ♪”~これでいいのだ!」にも参加した。
内容が非常によくて、アゲ曲をケロッと連発しまくる楽しい楽しいお祭りみたいなライブが気に入った。
私は、しゃちサマで発表された愛知県体育館で行われる公演に行くしかない、と心に決めたのだ。
辞めるかどうかは、愛知県体育館で決めようと思っています
そんな順風満帆のしゃちヲタとしての生活に、激震が走った。
Quick Japanに咲良菜緒のインタビューが掲載されたが、その見出しが「辞めるかどうかは、愛知県体育館で決めようと思っています」だったのだ。
寝耳に水、というのはこれを言うのだな、と、当時23歳にして知った。
辞める、というのは、チームしゃちほこを、だ。
内容をざっくりと要約すると、きっかけはマネジメントサイドとのすれ違いではあったものの、自分の頑張りが報われない、周りがついてきてくれないという思いがふと浮かび、しゃちほこを辞めるという選択肢が浮上した、まだそのわだかまりは解消されておらず、勝負のライブである愛知県体育館を通して、続けるか辞めるかの答えが出るのだろうというものだ。
詳細な内容は、現在でも菜緒ちゃんのインタビューが載ったQuick Japanを購入できるので興味があれば確認してほしい。
このインタビューが世に出たのは、愛知県体育館で行われるライブ「愛の地球祭り」のまさに直前だった。震える手でページをめくり、愛知県体育館の出来によってはなおちゃんが辞めてしまうかもしれないと思うと、とぞっとした。
これからも、「6人で」やっていきますので
2013年12月21日、開演前の愛知県体育館は異様な空気に包まれていた。
Quick Japanのインタビューは、見出しがセンセーショナルだったため瞬く間にオタクの間に広まっていった。そして、その場にいたほとんどが、「なおちゃんが辞めてしまうかも」という不安と危機感と戦う一方、史上最大規模の会場が満員となった高揚感を抑えきれない、そんな空気だった。
ライブは咲良菜緒の「お前ら!いろいろ聞きたいことあるんだろ!でもな、そんなの自分で考えろ!」という啖呵のような影ナレから始まる。
内容は非常に良かった。冒頭からMCなしのアゲ曲連発のうえ、そのラストに初披露の新曲を持ってくるというチャレンジングさ。終始楽しそうなメンバー。
そしてライブは終盤にさしかかり、メンバーが曲のスタンバイに入ろうとしたところで、竹内力のビデオ出演により、翌年夏の日本武道館公演が発表された。これを知らされていなかったメンバーは驚いてひっくり返った。
そしてその後のMC、日本武道館公演についてメンバーが触れると、咲良菜緒もこれに触れ、「これからも…6人でやっていきますので、」「そうだよ、6人だよ」とはにかんだ。
そんな菜緒ちゃんをこれまで時折不安そうに見ていた秋本帆華は、糸が切れたように目を潤ませて、菜緒ちゃんが話している途中にもかかわらず歩み寄って抱きついた。
菜緒ちゃんは、「何で泣いてんの〜!?」と驚いて、照れ臭そうに頬をつねった。それを見て私は涙がとまらなかった。ほーちゃん、不安だったんだね。
後日、菜緒ちゃんは「6人で」という発言に決意に至った理由を問われ、「乙女受験戦争のちゆりのパートで、『乙女は夢に向かってただひたすらに走っていく』というパートがあって、それを見てああ、走っていくんだな、と思った」と語ってくれた。
この迷いの末の決意は、これから菜緒ちゃんがチームしゃちほこの精神の柱になるきっかけだったように思う。一度自分ときちんと向き合って、考えて下した決断は、固いものだ。
当時も今も、このシーンは「咲良菜緒」のアイドルとしての背骨のようなものができた瞬間だ、と思っているし、間違いなくこれから大きな成功と苦難を迎える彼女たちの、大きなターニングポイントとなる出来事だと思っている。
このライブは、現場の雰囲気を語ることも重要だけれど、この背景を知った上で是非映像でも見て欲しい。私は擦り切れるほどみたけど、本編もメイキングも非常に良い。
【2014年~2015年】ファーストアルバム発売、初の武道館公演
2014年は、一番勢いがあった時期だと思う。それこそ、私が記録でしか知らないももクロのように、とんとん拍子でキャパシティを拡大していった。そして当時、ももクロを越していくのだと、私は本気で思っていた。
その輝かしさを、記録していきたい。
ふにゃふにゃなセンターですけど、私についてきてください
早かった。武道館を満員にするまで、2年と数カ月。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。当時も今も、アイドルにとって日本武道館は活動の指標となることが多かった。
武道館公演が発表された時、秋本帆華はこう言った。
「有名な人しかできないやつだよ!」
そう、有名な人しかできないのだ。当時のチームしゃちほこは本当に勢いがあって、ももクロの次はチームしゃちほこ、と、今でいう鬼滅の次は呪術廻戦、よろしく語られていた。
フリーライブをやれば、特典券は始発組で枯れた。待機に長い列があった。もちろん、武道館公演のチケットも完売した。この公演のために、名古屋からのバスツアーも組まれた。そして、武道館はきっちり「満員」だった。
当時、アイドルが次々と武道館公演を実施していたが、中にはかなり無理をした公演を打ったアイドルもたくさんいて、そういう公演は「武道半」と揶揄されていた。
当時の勢いを定量的に示せるものが動員しかなく、動員を一つの指標として語るのを許してほしい。チームしゃちほこの最初の武道館公演は、超満員だったのだ。これは、公演の成功と言える要素の一つだ。
パフォーマンスもよかった。
武道館公演に先駆けリリースされた1stアルバム「ひまつぶし」には、今もライブの定番曲のキラーチューン「抱きしめてアンセム」「colors」が新たに収録された。
強烈なアゲ曲と、Base Ball Bear小出祐介が提供するロックチューンを手札として持てるようになったのだ。ライブのバランスが非常に良くなったし、わかりやすく盛り上がる曲でなくとも、フロアを沸かせることができるようになった。
とくに大黒柚姫は、このライブで大きな成長を見せた。
「みんなよりも、何もできないから」と顔を涙でぐしゃぐしゃにして、武道館公演に至るまでに経験した苦労を語った。「colors」の落ちサビは、本当に素晴らしかった。
このライブのMCで、印象に残っていることがある。
秋本帆華が「ふにゃふにゃなセンターですけど、私についてきてください」と言ったのだ。
言葉に起こしてしまえば普通だが、「わたし」と「に」の間にタメがあった。それに、私は非常に心を打たれたのだ。
そもそも、秋本帆華は圧倒的なセンターオーラを放つ一方、自分が自分が、と前に出るタイプではない。だから、グループの顔としてなにかしようという思いがあるわけでもなく、むしろ自分が前に出るより前に出たい子が出たらいい、と思ってたように感じていた。
それが、「私」、と言い淀んで、「私に、」と言い放ち、「ついてきてください」とまっすぐ前を見て言ったのだ。秋本帆華の「私についてきてください」は、秋本帆華がセンターとしての自覚と覚悟を決めた瞬間であったように思うし、私にとっても大きなターニングポイントになった。
たしかに私は最初からほーちゃんが大好きで、この子を推してく、と決めたけれど、推し自身が覚悟を決めた瞬間、こんなに頑張っているのだから、私も一生懸命この子を応援しようと強く思ったのだ。
それから、チームしゃちほこは更に躍進する。
現在も大切に歌われている、川谷絵音提供の「シャンプーハット」をリリース、渋谷公会堂を千秋楽とするホールツアーを経て、二度目の愛知県体育館公演を難なくこなし、幕張メッセ2daysライブが決定した。
ゆずはダイヤの原石ではありません。ゆずは土です。
幕張メッセイベントホールで行われた「幕張HOLLYWOOD」は、実はあまり繰り返しライブ映像を見ていない。
内容は非常に良かったし、とにかく楽しかった。どれくらい楽しかったかというと、楽しすぎて、ライブ後に会った友人にどうだった?と聞かれたときうまく喋れなくなり、みなせさん大丈夫?と聞かれたほどだ。
一番楽しかったのは、どう考えてもダブルアンセムだ。
ライブ終盤、「抱きしめてアンセム」の披露後、ほっと息をつこうとしているメンバーをよそに「ダブルアンセム!」の声と共にまた流れ出す「抱きしめてアンセム」のイントロ、助けて!無理!と叫ぶメンバー、そのカウンターとして、勝手にステージから客席に駆け出す咲良菜緒の姿は最高だった。
菜緒ちゃんは天才的にかしこくて、その日は元々2階席を練り歩く演出があったことから「本当はアリーナに降りよう思ったけど、カメラがついてこられないと思ったからやめた!大人が焦ってついてくるのが面白かった」と語っていた。これぞ、咲良菜緒だ。
思えばこの頃から、勝手な大人へのカウンターとして、思いついたことをどんどん勝手にやってしまうある種負けん気の強さ(今で言えば、タフさ)があったと思う。
また、2日目に披露された「マジ感謝」では、メンバーそれぞれが感謝を伝えたい人に宛てて、歌詞を変えて歌った。
特に秋本帆華の、チーフマネージャー店長こと長谷川ミネヒコに宛てた「感謝」が印象的だ。
「ねえ店長覚えてる?あのときのあの言葉 行くんでしょ?行くんでしょ?夢の先のその先へほのかとなお、ゆず、ゆずき、はるな、ちゆり6人で大きな夢をつかもうね、絶対」
この「夢の先のその先」というのは紅白歌合戦のことだ。大黒柚姫も、この日のMCで「みなさんをいつかNHKホールに連れていきたい、大晦日に」と明言している。
チームしゃちほこは、このままキャパシティを拡大して、いつか紅白の舞台に立つ、という目標を、掲げたことがあるのだ。
紅白はガイシホール公演のもっと先の夢、と思ってはいたが、大言壮語ではない、と私はその当時思っていた。
そんな輝かしさの裏に、安藤ゆずが足を負傷して車椅子でのパフォーマンスになった、という現実があった。ゆずは時折表情に陰りがあり、自身のこの状態に負い目でも感じているのだろうか、と感じた。
そんなゆずの姿を見たらいてもたってもいられなくなり、海浜幕張の駅の構内でピンクのレターセットを買って、ホテルでゆずの好きなところをたくさん書いて褒め散らかして、翌日プレゼントボックスに投げ込んだことをよく覚えている。
二日目の抱きしめてアンセムは、今でも忘れられない。映像にも残っていて、強く感情を揺さぶられるものだけど、あまり見られないでいる。
「完成形はまだ未定手のなる方へ進むよ やまない声があるからいつまでも踊ってたい」と、ゆずは自身のオチサビパートを車椅子から立ち上がりながら叫ぶように歌って、その後泣き崩れた。
この姿に、安藤ゆずが詰まっていた。真面目で、自分の役割をよくわかっていて、だからこそ悔しさを隠しきれない。そんなに頑張らなくても、楽しそうにしてくれていれば私は幸せなのになあ、と思ったりもした。
そしてさらに印象的だったのが、この日のゆずのMCだ。一生懸命自分が矢面に立って場を盛り上げる、「盛り上げ番長」の彼女は、いつもその場を盛り上げようと自らオチになりに行ったり、アホなことを言ってわざとスベってみたり、自分の身を削ってもそのばを盛り上げてくれる子だった。
そんなゆずが、真剣に悔しさを語ったのだ。
「この1カ月間本当にくやしくて、何もできない自分が情けなくて。ゆずもステージに立てるように急遽演出を変えてくださったり、メンバーも嫌な顔1つ見せずに……普通文句の1つや2つ言ってもいいと思うのに、誰も嫌な顔見せずに『大丈夫だよ』って練習に付き合ってくれて。そして皆さんがピンクのペンライトを振ってくれて、みんなに支えられて、安藤ゆずは今幕張メッセに立てています(略)ゆずはダイヤの原石ではありません。ゆずは土です。でも土はこねると瓦になったりできるの。だからゆずはしゃちほこを支える屋根になりたい」
このMCをきいて、私は、安藤ゆずはピカピカに光る、磨き上げられたダイアモンドだと、そう思った。それくらい、まぶしくて強い子だと思った。
チームしゃちほこという本があるとして、今、何ページ目くらいかな?
その後も、順風満帆だった。2016年のしゃちサマは愛知県蒲郡市のラグーナビーチにて野外のライブ。坂本遥奈以外のメンバーは女子高生としての最後の夏休み。
これがまた、めちゃくちゃに楽しかった。雨上がりで地面がぬかるんでいるのに、えげつない量の水を撒き、全身ビショビショ足元ドロドロ。とにかく楽しい!をぎゅっと詰めて、そんななかでもデビュー時を思い出させる演出、まだ夢に向かっていく彼女たちを見せる演出が、ひと夏の思い出にふさわしかった。
この頃のチームしゃちほこは盤石だったと思う。これからどんどん大きく羽ばたいていくのだ、と思っていたし、彼女たちのパフォーマンスをみても間違いない、と確信に近いものを感じていた。
秋にはホールツアーをスタート。ツアーはホール、大きなライブはアリーナ、十分な人気者ぶりだ。そのうちさいたまスーパーで公演するかも、とも思っていたくらいだ。
一方で、このホールツアーの序盤の数公演を最後に、安藤ゆずが体調不良によりライブ・イベントを休み続けていた。
こうして、少しの不安を残しながら、順風満帆な2015年は幕を閉じた。
【2016年】VICTORY YEAR
VICTORY YEARの幕開け
2016年は、振り返ると勝負と波乱の1年だった。
まず、「俺の藤井2016」。このイベントでは、スターダスト所属のアイドルの中で、誰が一番強いかを競う企画が行われた。2組のグループが順番に1曲ずつパフォーマンスし、どちらがより多くの声援をもらえるかで勝敗を決め、負けたグループはステージを去り、買ったグループは新たな対戦相手と勝負する。そして最終的に残ったグループが勝者というものだ。なんともスターダストらしい企画だ。
そしてそのライブで、一度だけ、チームしゃちほこは強大な敵となるももいろクローバーZに勝ったのだ。
この時のチームしゃちほこは、勝負だからと頭の2倍以上ある大きなのリボンをトサカのようににつけ、勝負に臨んでいた。そして珍しく、このために衣装を新調していた。
そして、ゆずが不在だったにも関わらず、あの王者ももクロに1度は勝った。
最終的に勝ったのはももクロだったが、誰も成しえなかったジャイアントキリングをチームしゃちほこただ1グループが成し遂げた、これは応援している私から見ても誇りだった。
こうして2016年が華々しく幕を開け、ゆずの回復を待っていざさらなる躍進を、と思っていた矢先のことだ。
安藤ゆずの「めまい症」による無期限活動休止が告げられた。
これを聞いたとき、私はああやっぱり、と思ってしまった。だって、2015年の秋から、ゆずはほとんどのライブやイベントを欠席し続けていたから。当時の気持ちを綴ったブログが残っているので、もし興味があれば読んで欲しい。
さて、この結成以来最大ともいえる苦難を抱える一方で、チームしゃちほこは新たなステップへと歩みを進める。
チームしゃちほこ5周年に向けて、「VICTORY YEAR」と題し、1年間で5公演・5万人を動員する企画がスタートしたのだ。
最初は幕張メッセイベントホール2DAYS。その次が武道館。次いで初めてとなる横浜アリーナを経て、結成当時の目標であった日本ガイシホールでの公演が発表された。
ゆずの活動休止の発表直後だったので、正直いろいろな気持ちが渦巻いた。これにゆずはどこかで合流できるのかと不安だった。
結果、ビクトリーイヤーは興行的に大成功とは言えなかった。
ガイシホールを除いて、すべての公演が完売御礼とはいかなかったのだ。何が原因でこうなったか、私にはわからないが、チームしゃちほこは昨年の勢いをなくしていた。
それでも、メンバーのやる気やパフォーマンスにかける思いが損なわれなかったのは救いだった。
1・2公演目の幕張メッセイベントホールで初披露された「ULTRA 超 MIRACLE SUPER VERY POWER BALL」はまさに当時の彼女たちの「今」を歌ったように聞こえたし、パフォーマンスの気迫も十分だった。
「ここでやらず一体いつやるっていうの」このフレーズには彼女たちの覚悟を感じずにはいられなかった。折に触れて、彼女たちの置かれた環境や持つべき覚悟を歌詞にしてくれた浅野尚志には、今も足を向けて眠れない。
これ、本当に勝手にやってるから音が出ないかもしれない。
「VICTORY YEAR」3公演目の日本武道館公演で、チームしゃちほこは小さなクーデターを起こした。
クーデターは、全ての曲を出し切ったあとの、咲良菜緒の言葉から始まる。
「今日は本当に私たちにとって本当に大事なライブなの。しゃちほこの活動の中で一番大事かもしれない。どうしてもみんなに聴かせたい歌があったの。これ、本当に勝手にやってるから音が出ないかもしれない。でもそれはそのときに考えるから。私たちにとってこの武道館がどれだけ大切なのか、それを大人の力を使わずに、メンバーだけで伝えたかった。だからこのサプライズがあったことは忘れないで」
そして、彼女たちはスタッフさんがいまバタバタしてる、と笑いながら、「僕たちの色色」と、アカペラで歌い出した。2014年の武道館公演で印象的だった、「colors」だ。
音が鳴るかもわからない、と言いながら、アカペラでワンコーラス歌い切ると、「お願いします、鳴ってください」と咲良菜緒が呟いた瞬間、「colors」のイントロが流れ出す。メンバーがやった!と喜び、会場が沸いた。
そして、「鮮やかに塗りつぶすのさ」と、本来は大黒柚姫の見せ場であるはずの、最後のパートはメンバー全員で、向かい合って確かめ合うように歌った。
これは、彼女たちなりの小さくて大きなクーデターだと私は思う。これまで、大人に用意された「試練」に果敢に立ち向かい、ある種振り回され続けてきた彼女たちが、真剣にパフォーマンスに向き合った結果だ。
大人が自分たちの意思を汲んでくれないのなら、勝手にやってしまおうという、彼女たちの恐れを知らない強さだ。
大人たちは、これを思い知ったのだと思う。
この結果として、次の横浜アリーナ公演のタイトルを「鯱の大行進」から「colors」に変えた。そして、横浜アリーナ公演では打ち合わせ段階からメンバーが参加、大人も彼女たちの意見を尊重するようになった。
このライブの最後、はけていく際に咲良菜緒がぽろりと「前に進まなきゃ」と言った。
現実にはサプライズなんてあるわけもなく、ゆずはここにいません
チームしゃちほこの大きなターニングポイントとなった武道館公演から約一ヶ月後、安藤ゆずに関するお知らせが発表された。安藤ゆずの卒業。結局、2015年の秋から休養が続き、ステージに立つことなくゆずはステージを降りた。
パフォーマンスに対する意識の変化、目標としていた日本ガイシホールを控えて突き進む中、5年を一緒に過ごしたメンバーとの、病気という不可抗力であり、ある種理不尽な別れに、私は運命を呪った。最後に、ひとことありがとうを言いたかった。
先に書いた、日本武道館公演が書類の上での6人のチームしゃちほことして、最後の公演となった。
「colors」にタイトルを変えられた横浜アリーナ公演は、本人不在の安藤ゆず卒業コンサートとして、ゆずのパートは彼女の歌声を流したり、スクリーンにゆずのパフォーマンス映像が流れる演出が採用された。
新しい道を突き進むには、割り切れない感情があった。それでも、私はチームしゃちほこについていきたかった。
なにより、メンバーが手を差し伸べてくれたから、それについていきたい、と思った。こういう時の咲良菜緒さんは、いつもファンの欲しい言葉を丁寧に紡いで手渡してくれる。私はこのブログに救われたと言っても過言ではない。
【2017年〜2018年】おわりとはじまり
ここにいないけど、ゆず!お前らよくやったよ!
こうして、5人になったチームしゃちほこは、悲願のガイシホール公演に向けて駆け抜ける。
ガイシホール公演は、アルバム「おわりとはじまり」を引っ提げたものとなった。
チームしゃちほこはこれまで、「人間50年、アイドル5年」のキャッチコピーを掲げてきた。その5年の節目であり、かつ、当初目標に掲げていたガイシホール公演を実施するなど名実ともに節目を迎えていた。
アルバムの内容も、いままで得たもの、なくしたもの、別れ、それらをすべて飲み込んだ末に始まる新たな「はじまり」を象徴させるものだった。新録曲「プロフェッショナル思春期」、「start」、「なくしもの」は特にそれを表している。
日本ガイシホール公演は、大成功だった。
年度末の平日にも関わらずたくさんの人が集まって満員だった。正直、どの会場も満員御礼とは行かなかったビクトリーイヤーを経て、1万人を収容するガイシホールが満員になるとは思わなかった。
メンバーが「懐かしい顔をたくさん見た」と語っていたが、結成当初から推していて他に流れていた人も、夢の晴れ舞台に集ってくれたのだ。
内容も素晴らしかった。力強い声で歌われる「なくしもの」を聴いて、初めて経験したメンバーとの別れや、私を襲ったごく個人的な悲しい別れを思い出して声を上げて泣いてしまった。
「start」では、「何回だってその手を握りしめるからずっと離れないで」という歌詞を聴いて、離れるもんか、私だってこの手を離したくない、と思った。
咲良菜緒が目に涙を浮かべながら「女優やモデルじゃなくて、アイドルでいてよかった」と語ったときは、2013年の愛知県体育館公演がフラッシュバックしてまた泣いた。
そして、終わりがあれば必ず始まりがある。
ライブの終盤、チーフマネージャー長谷川ミネヒコはこう言った。
「めったに言わないんだけど、ハル、菜緒、帆華、ちゆ、柚姫。そしてここには来れなかったけどゆず! お前たちよくやったな。
はじめはガイシホールも鼻で笑われました。だから僕は今日また鼻で笑われることをしたいと思います。新章始動!!! いざ、ROAD to ナゴヤドーム前矢田!!!」
大成功とは行かなかったVICTORY YEARだった。でも、当初は鼻で笑われた日本ガイシホール公演を満員御礼で終えた。
また笑われようとも、名古屋ドーム公演を目指す、と息巻くチームしゃちほこが好きだった。無理だよ!と泣き笑いするチームしゃちほこと一緒に泣いて笑って、店長の友達100人連れてこい!に大きく湧いた。
このライブが終わった頃、最終の新幹線はとうに出終わったあとだった。リュックに詰めた仕事道具の重みを背中に感じながら、始発の新幹線の時間を調べると私は名古屋の街に消えた。
チームしゃちほこ、やりきりました。
ガイシホール公演を大団円で終了したあとのチームしゃちほこは、諸般の事情であまり現場に行けなかったので記憶が薄い。
名古屋ドームを目指しつつも、これからどうしていくかという過渡期だったと思う。メンバーも成人し、「大人に用意された試練に必死に食らいつく」という演出も通用しなくなった。
実際、名古屋ドームを目標に掲げてはいるがツアーはライブハウスがメイン、大箱は中〜小規模のホールになった。
当然、ここから私達どうしよう?という議論が発生した。それに対し、伊藤千由李は「チームしゃちほこを卒業する」と答えたそうだ。
メンバーも寝耳に水、ファンも寝耳に水だ。
曰く、「女優になるという夢を追いかけたい。歌って踊れる女優になりたい」。
ちゆは、チームしゃちほこのパフォーマンス、とりわけ歌唱の要だった。ちゆ卒業と聞き、私はこれからのチームしゃちほこのパフォーマンス、特に歌唱はどうなってしまうのだろう、と思った。
ちゆの卒業が発表されてからは、残り少ない時間で5人のチームしゃちほこを見届けようと躍起になった。とはいえ、時間がなかった。
ちゆと話せる最後のチャンスがBURNING FESTIVALのリリースイベントだった。迷わずちゆの列に並んで、今までの感謝を伝えた。そして普段撮らない全員ショットを撮った。
これが、私が今まで撮った唯一の全員ショットだ。
笑っててほしい。
2018年10月22日、「"TEAM SYACHIHOKO" THE LIVE ~FINAL~」と題し、Zepp Nagoyaにて伊藤千由李の卒業公演が開催された。
卒業にふさわしい、いいライブだったと思う。会場は満員、私は女限エリアに陣取ってみたが、ぎゅうぎゅうで手を上げるのも一苦労だった。
そんな中、「It's new 世界」がこれからのちゆに向けたエールだと解釈し、精一杯声を上げた。
ちゆは、「アイドルやりきりました」と笑って、「一つの夢がかなったらどんどん他の夢に挑戦したくなる。自分に正直にいきたい」とすっきりした顔で語った。
そして、印象に残ったのは秋本帆華の言葉だ。ライブ後半、ちゆに宛てた手紙を読みながら「ちゆが辞めるって聞いたとき、正直不安でした」と涙で声をつまらせた。
秋本帆華はあまり涙を流さない人間だ。節目のライブでも、MCを涙でつまらせることはあまりない。彼女はいつも堂々としていて、笑顔だった。
「不安だ」、と、正直な気持ちを、涙も隠さずに伝える姿は、今まで私が思い描いていた「鉄人・秋本帆華」の姿とはかけ離れすぎていて、それ故にわたしはこの不安のとてつもない大きさを知ることになる。
涙で声がにじむのを必死にこらえて、何度も呼吸を置きながら、ちゆが卒業してしまう寂しさと、これまでの感謝、そしてこれからの未来に向けたエールを送った。
そして、秋本帆華はこう締めくくった。
「これからも夢を追い続けるチームしゃちほこと伊藤千由李をよろしくお願いします」
そしてライブが終わり、ちゆは卒業した。
わたしは、また驚くことになる。出口で渡されたチラシには、「TEAM SHACHIに改名」の文字が踊っていた。こうして、チームしゃちほこの歴史は、私が予想だにしない形で幕を閉じた。
チームしゃちほことTEAM SHACHIをつなぐもの
TEAM SHACHIに改名後、彼女たちは大きく姿を変えた。今ではおなじみの「ブラス民」は当時衝撃だったし、あまりに様変わりした。中には、その変化に驚いた人もいただろう。
でも、この変化は決して過去をなかったことにしてしまうものではないと私は思っている。
改名後、初めに披露されたのは「DREAMER」だった。チームしゃちほこ最後のライブで秋本帆華が語った言葉と、つながっているのだ。
これはTEAM SHACHIのことだけを歌ったものではなく、伊藤千由李や安藤ゆずを内包しているとわたしは考えている。
ろくでしなんかじゃないよ 伊達に今日まで生きてないよ
みんなそうっしょ?僕らすごいっしょ?
選ばれしものでいいでしょ
「伊達に今日まで生きてない」のは、「みんな」なのだ。
これまで何度もTwitterでもブログでも書いてきたが、この9年間、私がここに記した14000字よりも遥かにたくさんの出来事が彼女たちにあった。わたしは、何度でも胸を張って言いたい。
過去は確実に彼女たちの血となり、肉となり、骨となって「今」を作っている。
もしこのブログを読んで、シャチから距離をおいているけれど、昔を懐かしんでくれた人がいたなら、是非一度今の彼女たちを見てほしい。
曲は変わったかもしれないけれど、大切な根幹は変わっていないし、もっともっと成長した。
例えば、勝手に客席に飛び出すメンバーもいるし、スタッフにも言わずにサプライズの1曲を披露したりする「勝手」な所は変わってない。
パシフィコ横浜公演のチケット購入者に手紙を書きたい、とメンバーが勝手に言い出して、ステージの上からスタッフにやりたい!よろしくね!と言った時は、今まで彼女たちがやってきた様々な「勝手」を思い出した。
一方で、1回目の武道館で「みんなよりなにもできない」と泣いていた柚姫は今ではハモリでグループを支えている。
咲良菜緒は、チームしゃちほこ最後の夜に「これからもっともっと本当にがんばる! ちゃんと見といてくださいね」と言った。
私はまだまだ夢を見続ける彼女たちと一緒に、走っていきたい。